今回は僕がものすごく好きなミュージシャンである、ディヴィッド・ボウイさんについて記事を書いてみたいと思います。

順当に考えるなら最初は、ボウイさんの活動履歴や代表作をご紹介するべきなのですが、彼の活動歴が長く、作品数も多く、音楽シーンにおける影響力も大きく、そして僕の思い入れも強すぎて、うまく文章としてまとめるのにもう少し時間がかかりそうです。

実際好きすぎるというのが大きくて、ボウイさんの記事と考えただけで、様々な切り口の記事の書き方が浮かびます。それこそ、いくつもいくつも。アイデアは無尽蔵です。

そこで、小手調べという感じで、今回の記事は、ボウイさんと、彼の親友でありミュージシャンでもあるイギー・ポップさんの友情について触れてみたいと思います。

とても興味深い内容です。ぜひご覧ください。

David Bowieの簡単なプロフィール。

まずはボウイさんを知らないという方のために、簡単なプロフィールをご紹介します。

1960年代末期からデビュー直後はしばらく、あまり売れない時期がありましたが、’74年に発表したアルバム”Ziggy Stardust”のヒットによって一気に世界的人気に。

以後、時代時代によって、音楽スタイルをスパッと変えることが多く、それも、時代の流行を取り入れるというよりも、むしろ彼が時代の流行を引っ張っていました。つまり彼が挑戦した新しい音楽スタイルが、次の時代の流行を作るといったことが多かったのです。これは決して誇張ではなく、本当なんです。

以後、数々の代表作を発表し、ミュージシャンでありながら、俳優としても活躍。大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」にジャック・セリアズ少尉役で出演したので、日本でもおなじみだと思います。

以後、2016年に肝癌によって亡くなるまで、世界の一流ミュージシャンの地位に君臨し続けました。

彼が亡くなった時は、世界中にニュースが飛び交いました。また、ポール・マッカートニーやミック・ジャガーのみならず、イギリス王室や、バチカンのローマ法王までが追悼のコメントを発表しました。

Iggy Popの簡単なプロフィール。

一方イギー・ポップさんは残念ながら、知名度においては、ボウイさんにはかなり見劣りしてしまいます。

その代わり、音楽、特にロック好きの人たちの間ではいまだに熱狂的なファンが多い、カルト的な人気というか魅力のある人です。

デビューはボウイさんとほぼ同じ’60年代末期。当時は”The Stooges”というバンドでボーカルでした。

The Stoogesのアルバムを聞けばすぐわかる過激て攻撃的なスタイル。そのスタイルは、ライブを見るとより一層顕著で、イギーさんがステージ上で見せる過激な行動、特に自傷行為は、まさに超個性的です。そしてこれも聴けばわかりますが、商業的な成功とはあまり縁がなさそうです。

そして、プライベートもめちゃくちゃらしくて、酒、タバコ、ドラッグにバンドメンバー全員でどっぷりつかっていきました。まさに典型的な破滅型の性格です。

そして、The Stoogesは解散へと向かう手前で、契約していたレコード会社からも解雇されてしまいます。

そんな時、イギーさんは、ボウイさんと知り合います。

イギー・ポップの人生転落期。

イギーさんはアルバムを一枚出すごとにレコード会社ともめ、ツアーを行うごとにトラブルを起こしている印象です。

流石に、飲酒やドラッグ漬けや、過激なステージングは、彼の心と体を何度も壊しています。バンドメンバーやレコード会社や友人も何度も彼を見放したことでしょう。

でも、ボウイさんはイギーさんを見捨てることなく、ずっと友好関係を続けました。彼の危機を救ったことも一度や二度じゃありません。

ストゥージズ解散は完全に自己管理の欠如による、レコード会社からの解雇でしたが、ボウイさんは、ストゥージズのラストアルバム、イギーさんのソロアルバムの1、2枚目をプロデュースして、献身的に彼を支えます。

こうして立ち直ったイギーさんですが、’80年代に入ると、イギリスのロンドンを皮切りに世界的なパンクブームが起こります。

このパンクブームの立役者であるミュージシャンたちがこぞって、イギーさんを「パンクのゴッド・ファーザー」と崇め出します。

これだけ音楽的に重要な影響力を持ちながら、イギーさんは私生活では常に破滅へと向かっていました。

イギーさんの危機を救ったヒット曲”China Girl”

何度も助けられながら再起し、そして困難にぶつかってきたイギーさんでしたが、’81年ごろ世の中はパンクブームで、自身も「パンクのゴッドファーザー」と祭り上げられているにも関わらず、彼の音楽活動はうまくいっていませんでした。

彼の活動の仕方についていけないバンドメンバーが次々と離脱し、新作アルバムも思うようにヒットしない。プロモーションツアーはしているが内部事情はガタガタなのに、ステージでは、例によってトラブル続き、契約会社からのプレッシャーもすごくて、また、酒浸りになる。そして商業的な成功は見込めないと言って、またしてもクビになってしまいます。

イギーさん曰く、「人生で、最も辛かった時期」だそうです。

そんな時期に救いの手を差し伸べてくれたのが、またしてもボウイさんでした。

ボウイさんは、彼自身がプロデュースを手掛けたイギーさんのアルバム”Idiot”から二人の共作となる”China Girl”を自分なりに再アレンジして、自分自身のニューシングルとして発表します。

当時、ボウイさんのキャリアの中で最大の商業的ヒット曲である”Let’s Dance”が大ヒットしたばかりでした。それに次ぐシングルとして、”China Girl”がリリースされたのです。

この曲は見事にヒットしました。そしてそのセールスの巨額の印税の半分は、共作者であるイギーさんに入ることになりました。

こうしてボウイさんは間接的にそして、経済的にイギーさんを助けることに成功しました。

ボウイさんらしい、粋な計らいですよね。こんな友人が欲しいです。

まとめ。Summary.

その後、映画「トレインスポッティング」でイギーさんの”Lust For Life”という曲が使われ、イギーさん史上最大のヒットをします。この曲もボウイさんのプロデュースです。

そして、イギーさんは日本を代表する音楽家坂本龍一さんともコラボしています。”Neo Geo”というアルバムに収録されている”Risky”という曲なのですが、日本では車のCMで使われていたので聴いたことあるかも?推測ですが、このコラボが実現したのも、ボウイさんの仲介があったのではないかと、僕は推測します。

最後に、これは昔ある音楽雑誌に乗っていた話なので、本当かどうかわかりませんが、二人の関係を表している好きな逸話をご紹介します。

ボウイさんがアメリカで音楽賞を受賞し、その授賞式に出席するためアメリカのホテルに宿泊しました。

イギーさんはボウイさんをお祝いしようと思って、ホテルを訪れ、フロントでボウイさんに会わせてほしいと告げるのですが、イギーさんの身なりがみすぼらしくてフロントに断られてしまいます。そこでイギーさんはブチギレて暴れまくり、ホテルのフロントの器物を壊しまくったそうです。

その後、ボウイさんとイギーさんは会えたのかどうかはわかりません。

もしかしたら壊したホテルの備品や器材の弁償をしたのも、ボウイさんだったりして?

以上です。二人の素敵な関係性、いかがだったでしょうか?

それではここまで読んでくださって、ありがとうございました!

またすぐにお会いしましょう。

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